第07回:ネーム以前のお話

第07回:ネーム以前のお話

By mogura

漫画ネーム

■プロットとは何か?■

さて、ネームのコマ割りの具体的な技法は、漫画ネーム講座で有料で教えているので置いておいて……ネームを作るに当たっての前段階について。前回まで紹介した方法とは、別のアプローチの方法もあります。

漫画の描き方入門や、あるいは専門学校や大学の漫画学科で、ネームを描く前にプロットを書くことを奨める講師がいます。プロットを書くと、話が整理されて話がまとまりやすいとか、理由はイロイロと説明されます。

でも、それは本当でしょうか?

昔、ある学生が卒業製作用の作品のプロットを提出できず、2カ月以上もアレコレと思い悩んでいました。もう卒業製作自体を諦めようかというレベルまで追い込まれていたので、自分はあるアドバイスをしました。

その結果、2カ月もかかっていたプロットは1日でできてしまい、無事に卒業制作にも間に合いました。どのようなアドバイスをしたかは、次回にお教えするとして。プロットについての誤解を解きほぐしておきましょう。

 

■シノプシスって何?■

そもそも、プロット【plot】とはいったい何でしょうか? 物語(ストーリー)の要約や梗概、あらすじのこと……と答える講師がいたら、正確ではありません。それは一般にシノプシス【synopsis】と呼ばれるものです。

シノプシスは《対観表》とも訳されますが、元は新約聖書で、共観福音書(ヨハネ福音書以外のマタイ・マルコ・ルカの三福音書)の並行記事を、比較対照して読むことができるようにした一覧表のことです。

辞書で調べると、プロットも物語・小説・戯曲・映画などの筋立てや構想と説明されてるじゃないかと、抗議する人もいるでしょう。辞書的な意味はそうでも、作話においては異なります。少なくとも1927年以降は。

この年、エドワード・モーガン・フォースターが『小説の諸相』を発表します。

この中で、プロットとは因果関係である、とフォースターは定義しています。筆者がこの定義を初めて知ったのは、国枝史郎の伝奇小説『信州纐纈城』の、講談社文庫本の寄せた三島由紀夫の解説でした。

エドワード・モーガン・フォースター『小説の諸相』

 

■前後関係と因果関係■

フォースターに言わせると、

 ・王が死んだ

 ・その後に王妃が死んだ

というのは、ただの前後関係を述べているに過ぎません。コレをストーリーと定義します。

コレが、

 ・王が死んだ

 ・悲しみのあまり王妃がその後に死んだ

という、因果関係が示されてプロットになるのだと、フォースターは述べています。

それがどうしたと思いましたか?

でもコレは、歴史書の編年体と紀伝体ぐらい違います。編年体というのは、年代の順を追って記述する方式で、中国の歴史書『春秋』がこの形式です。年代記と呼ばれる歴史書もこの範疇です。

いっぽう紀伝体は、司馬遷が歴史書『史記』で採用した記述方式で、人物を中心にその事蹟を記述する方式です。ある意味、歴史小説の原型と言っても良い存在ですが、まぁいいや。

 

■因果関係を描こうよ■

それを読んだ読者が「それから?」と聞くのがストーリーで、「なぜ?」と聞くのがプロットとフォースターは語ってもいますが。いずれにしろ、物語のダイジェストがプロットではない以上、シノプシスという分類が必要です。

例えばプロットは、王妃が死んだ理由を、

 ・王の暗殺が発覚して追いつめられ

 ・王が本当に愛した女性の存在を知って

 ・義弟が王の暗殺を実行したと知り

 ・王が生前に仕込んだ毒酒を飲み

 ・宰相の陰謀を民に知らしめるために

などとイロイロと作れます。

重要なのは、その因果関係の説明がストーリーになるという点。

この因果関係のアイデアが秀逸だったり、人間の心の機微に深く踏み込んでいたり、語り口が興味を引いて離さず素晴らしかったりすると、世間で評価される作品になる……ことが多いようです。

ここ、ネーム以前の作品の発想のポイントとしても重要なので、あえて書いておきました。この因果関係は、義弟はなぜ王を暗殺したのかとか、そこで人間関係が絡み合ってくると、長編になっていくわけです。閑話休題。

 

■必要なのは誰です?■

話をプロットに戻して。そもそも、なぜ作品の概要をまとめたシノプシスが必要かと言えば、作家側の必要性ではなく、小説を出す出版社側や、脚本を読む映画プロデューサー側の要請だったりします。

アメリカの映画はだいたい100分前後が多いですが、映画のシナリオは1ページが1分になる形式で書かれています。つまり、100ページ前後のシナリオが、有名プロデューサーには毎日山のように送りつけられる訳です。

なにしろ、制作費が日本とは桁違いのアメリカ映画界ですから、一攫千金を夢見て膨大な量の脚本家志望者が、書きまくって送りまくってる訳で。でも、その中で傑作なんてのは何%あるのやら。

読んでみたけど駄作だった、そんな作品に貴重な時間を掛けていられません。

作品の概要をまとめたシノプシスが必要になるわけです。つまりシノプシスというのは、作品を書いた後に、まとめとして書くことが本来の姿です。

 

■痩せ虱を鑓で剥ぐな■

そうやって概要を作ると作品を俯瞰して客観視できるので、作品のバランスの悪さや、流れの問題点が見えてきやすい部分もあります。なので、作品を書く前にシノプシスを書くことが推奨されることに。

でも、コレは大きな間違いです。例えば、100分の映画を漫画に起こすと、何ページ必要でしょうか? 人によってネーム力に差がありますが、だいたい200ページぐらいになります。1分が2ページ相当。

漫画の新書版の単行本は192・200・208ページが基本。

そう、映画1本はだいたい単行本1冊に近いのです。週刊少年誌なら8〜10本分、30ページの読み切りなら6本分。それぐらいの分量なら先にシノプシスを作る意味はあるでしょう。でも、投稿作や卒業制作は?

24ページや30ページ、ちば賞でも45ページの作品に、シノプシスを作る意味はあるのか? アニメなら12〜23分、ドラえもんやアンパンマンなどの1本分と近い分量です。それでシノプシスを作る意味はあるのか? 論語にも「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」という言葉があります。

先に上げた学生が、二ヶ月もシノプシス(彼女にとってはプロット)が作れなかった理由はまさに「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」であったことと、シノプシスは後で作ること、シノプシスを作るには経験値が必要ということを、教える側が理解していないことが多いようです。その問題点についても、次回で指摘します。実際、プロの漫画家でもシノプシスは作らずいきなりネームを起こす人は、けっこう多いです。