【中級者向け】色気はどこからにじみ出る?|創作論

【中級者向け】色気はどこからにじみ出る?|創作論

By MANZEMI

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質問箱:色気はどこからにじみ出る?

※質問箱に寄せられた質問を、別途アーカイブしておきます。また随時、加筆修正を加えていきます。

色気の定義とは何?

この質問は、色気をどう捉えるかで、だいぶ話が違ってきますね。
試しに、以下の3つに分類してみました。

①性行為に結びつく行動やそれをイメージさせる描写
②広範囲な性的魅力(豹などの動物が持つしなやかさなど)
③人間の内面からにじみ出る華のある言動

色気というものを①のように即物的に捉えると、男性向けでも女性向けでも、裸体をどれだけ出すか・肌色の量をどれほど増やすか・オッパイやオシリをどれだけ大きくするかという〝量の問題〟になってしまいがちです。しかし、それには疑問です。BL系だと②や③の要素も強まりますし。

例えば八月薫先生の『浮世艶草子』シリーズ②巻収録の『枕草子』の中で、これ見よがしの裸体が少しもエロくないこともあれば、ちらりと見えたフクラハギが例えようもなくエロく見えることがある……と、劇中の女性浮世絵師が弟子に語るシーンがあります。

その場合は、シチュエーションの持って行き方が、より重要になってきますね。

隠すと恥ずかしい?

では、どうすればエロくなるかといえば、永井豪先生作の『まいるど7』に、そのヒントがあります。作中に、女性二人によるストーリーキング対決のシーンがあります。ちんsみにストーリーキングとは、大衆の注目を集めるために全裸で道路や競技場など公共の場を疾走する、パフォーマンスです。昭和の時代は多かったのですが、今でも路上やサッカー場など、たまに見られます。

その作中で、局部を隠さず堂々と全力疾走する女性よりも、恥ずかしげに頬を赤らめ乳首や局部を隠しながら、ぎこちなく走る女性の方が、街道の観衆の注目を集める、という場面があります。『けっこう仮面』など、エロい作品でも量産された永井先生が、その作劇法の手の内を明かされています。これはいったい、どういうことでしょうか?

人間は、エロい何か(オッパイや性器)があるから、エロいと感じるのではなく。隠そうとする人間の心情に、反応してエロいと認識する、という側面があるようです。

オッパイ軽視文化?

実際、日本文化では長らくオッパイは性的な部分とは認識されず。例えば中国では、女性の胸をしめつける、束胸(きょうそく)の習慣があり。朝鮮半島では、嫡男を生んだ妻の、乳出しチョゴリの文化がありました。

そう、東アジアでは、オッパイを性的とは捉えない文化が、主流だったのです。松本人志さんが子供の頃の尼崎では、上半身裸でそこらを歩く老婆が、普通にいたそうですし、昭和の時代は電車やバスで授乳する母親とか、普通でした。

例えば、猫の睾丸や柴犬の尻穴を見ても、一般人はほとんど興奮はしませんよね? それと同じです。ところが、幕末以降に欧米の文化が日本へ入ってきて、さらに戦後にアメリカナイズされ、卑猥の価値観が変わったように。エロいの基準も、だいぶ変化しました。

エロさは人造的か?

経済人類学者の栗本慎一郎氏は、人間とチンパンジーなどの霊長類には、遺伝子的には大差がない、と指摘されていました。実際、人間の持つ遺伝子は30億の塩基対がありますが、チンパンジーは96%が人類と一致するとか。ですが、チンパンジーはパンツを履きませんよね?

パンツを履くという行為は、一種の人工的な制度=文化だと、栗本先生は説明されていました。言われてみたら、動物はパンツを履きませんし、急所のガードという意味を考えても、なくても困らないはずのものです。

パンツを履く・脱ぐという行為に、ある種の興奮を覚えるのは、実は本能的なものではなく。発情期をなくした人間が、人工的に発情期と同じ状態を起こすための装置(制度や文化)として、こしらえた可能性があります。

暴くからこそ性的?

この考えが正しいかどうかは、学者でない筆者には分かりません。ですが、仮にそう考えると、「エロいとは何か?」の捉え方もまた、変わってくるのではないでしょうか?

映画『愛を読むひと(原題:The Reader)』のでも、ケイト・ウィンスレットが演じたハンナという女性は、ある誰にも言えない秘密を抱え、それがバレることの恥ずかしさに耐えられず、ナチスの戦犯となって獄中で何十年も過ごすことさえ、甘受します。作中でのハンナは、男性と奔放な性関係を持ち、かなり大胆に裸を晒します。

そちらの肉体的なエロさと、心の精神的なエロさは違うということを、見事に対比的に描いた作品に、筆者には思えました。人間は、性行為そのものよりも、ハイヒールや網タイツに興奮を覚える、倒錯した生き物です。脳が発達しすぎたがゆえの、暴走なのでしょうか。

人間は記号に興奮?

かの三島由紀夫は、グイド・レーニ作の絵画『聖セバスティアヌスの殉教』に性的興奮を覚え、ましたし。女性の場合も、戦前の阿部定事件なんて事例も、ありました。興味がある方は、ぜひ調べてみてください。

人間は、行為そのものや、イメージを喚起する記号に、反応するのでしょうね。大脳が発達しすぎて、想像力がたくましくなったがゆえ。

まぁ、もっと即物的なタイプも、男女ともにいますけれど。

少なくとも、そういう恥じらいの部分を上手く描けると、エロさはある層に、広くはないけれど深く届くでしょう。そういう層はイメージ力が高く、長くファンでいてくれそうな、知的なタイプでしょう。良質なファンです。

そこがわかれば、後はもう表現のテクニック。どのタイミングで、どういう手順で、エロイシーンを挟めばいいかは、技術論になります。

それは長くなるし、秘伝の部分もあるので、講座でm(_ _)m


https://mond.how/ja/manzemi_bot
この質問箱では、もう一歩踏み込んだ回答を心がけていますので、質問をお待ちしています。

※本記事はMANZEMI講師のnote記事を承諾を得て転載したものです。