背水の陣を敷かない

背水の陣を敷かない

懐かしいツイートが、リツイートで流れてきました。懐かしいと言っても、2020年10月のツイートですが。この頃は、まだnoteに力を入れていなくて、ツイートをまとめることも少なかったので。翌月の22日から連続投稿するのですが……。でも、割と良い内容なので、改めて加筆訂正を加えて、まとめを。発端は、元dada氏の、このツイートでした。

■ドーピングをするな■

嘘とは思わないです。そういう人間はどこの大学にも居ますし、早稲田大学とかなまじ作家を多数輩出してるから、自分もできそう・書けそう・なれそうって思ってしまうんですよね。でも拙著でも書いてるんですけど、背水の陣なんか敷くのは、基本的にダメな選択です。追い込まなきゃ出ない力なんて、ドーピングして出した記録と同じ。それで作家になれたとしても、その後が辛いですから。

60%か80%の力で、安定してコンスタントに作品が作れないと、商業作家は難しいです。あるいは、生涯たった1冊の大傑作を書くなら、サラリーマンしながらだって書けるはずです。紫式部だって清少納言だって菅原孝標女だって井原西鶴だって柳亭種彦だって、専業作家どころかアマチュア作家だったわけですから。商業プロってのは、曲亭馬琴以降、この200年ぐらいに生まれた職業であり、概念に過ぎません。

■憧れが本末転倒を呼ぶ■

むしろその意味では、徳川家康とほぼ同時代のウィリアム・シェイクスピア(洗礼日1564年4月26日〜1616年4月23日)や、元禄時代の近松門左衛門(1653年〜1725年1月6日)など芝居演劇の脚本家のほうが、専業プロ作家としてはよほど早いんですよね。演劇のほうが大衆にも訴求するぶん、歴史も古いですしね。需要がないところに、供給はない。少なくとも、商業作家になるならば。アマチュアで、趣味でやるなら需要は関係ないです。

だいたい、有名作家の代表作って、あんがいやっつけ仕事から生まれたりするもんです。さいとう・たかを先生の『ゴルゴ13』ですら、そうです。あるいは、ちばてつや先生の『のたり松太郎』も。魔夜峰央先生の『パタリロ!』も、バンコラン少佐が主役の読み切りでしたし。そのバンコラン自体も、ヴァンコランの名前で、魔夜先生の初期読み切り作品で、二重スパイ役という形で登場していますからね

■背水の陣への誤解が■

そもそも『背水の陣』という言葉自体は、日本では誤解されていますね。追い詰められた状態で、火事場の馬鹿力を発揮するようなイメージで、とらえてる人が多くありませんか? そもそも、言葉の語源となった漢王朝の将軍・韓信の背水の陣、実際は囮作戦です。敵にこれは楽勝だと思わせて戦いに打って出させるように仕向けて、実際は敵の城を手薄にして、別働隊に攻略するのが本当の目的ですから。

そこに、火事場の馬鹿力なんて期待していません。精神的に追い詰めれば傑作ができる確率は、かえって低いと思いますよ? むしろこのエピソードで学ぶべきは、背水の陣を敷けば思わぬ能力が発揮できると誤解して、学校や会社を辞めてしまう人間こそ、韓信の計略に引っかかってノコノコと城を出て出陣してしまった、敵側の武将と同じだと、気づくべきでしょう。

■先例を調べてみる手間

もう一つ、投稿者喉にアドバイスするとしたら。「作家という肩書きに憧れてるだけじゃないのか?」と、自分自身に問い直してみるべき、という点。たとえ運良くデビューできたとしても、それで自分はプロの作家だと、さっさと学校や会社を辞めてしまう人がいますが。これも悪手ですね。デビュー作一作で消える作家なんて、それこそゴロゴロいるので。小説も漫画も、死屍累々です。

実際、投稿作やデビュー作で、自分の書きたかったテーマのすべてを書いてしまい、燃え尽き症候群になってしまう人なんていっぱいいます。それは 有名な雑誌でデビューした新人作家の、その後を追えば、明らかです。週刊少年ジャンプやアフターヌーンの四季賞など、ウィキペディアにも歴代受賞者の名前が載っていますから。追いかけるのは割と簡単なはずです。間違いなく、メジャー誌でデビューできる大きな才能を持った人間でも、そうなのですから。

■プロ作家たちの実例■

例えば、大ヒット作家である赤川次郎先生は、高校を卒業して就職し、サラリーマンに。27歳でシナリオが入選、28歳でオール讀物推理小説新人賞受賞、30歳で三毛猫ホームズの推理がヒットして、ここでようやくようやくサラリーマンを辞め、専業作家になっておられますね。デビューを決めて、新人小説家の登竜門と呼べるような大きな賞を受賞し、それでもサラリーマンを辞めず。ヒットシリーズを得て、ようやくサラリーマンを辞めているわけですから。

MANZEMIの小説講座でお世話になっている芦辺拓先生も、読売新聞大阪本社の校閲部・文化部記者として勤務する傍ら、28歳の1986年に『異類五種』で第2回幻想文学新人賞に佳作入選、中井英夫と澁澤龍彦に、高く評価されているのですが。『殺人喜劇の13人』で第1回鮎川哲也賞を受賞してデビューしたのは1990年、32歳のとき。4年のタイムラグがあります。専業作家になったのは1994年、36歳のとき。さらに4年のタイムラグがあります。

■挑戦と逃避は違うのに■

自分に才能や運が無いと解ったときの、プランBやプランCを用意することが、本当の意味での背水の陣だと、自分は思っています。それこそ、専業プロでやっていけないなら、専門学校や大学の講師などを勤めて収入の道を増やしたり、いろんなプランをシミュレーションしておく必要はあります。自分の場合だと、会社を辞めてからデビューしてという、やってはいけない例の実例ですから。説得力があるでしょう?

運良くデビューしてからも、パソコン雑誌でのインタビューの仕事屋、デザイナーの友人の仕事の手伝いなど、なんでもやりました。自分には才能や運があるはずだ、で退路を断つのは自分を冷静に見ていない、逃避です。あまりに安易に考え過ぎていますね。冒頭に引用した、早稲田大学を止めて小説家を目指し、自殺した人物というのも、地頭は間違いなくよかったはずですが。やっぱり作家になるということを、安易に考えていた節がありますね。

■自分の適性を調べる■

もし作家になりたいのであれば、例えば芦辺拓先生が受賞した鮎川哲也賞は、400字詰原稿用紙360~650枚です。原稿用紙にびっちり文字を書くことはありませんが、それでも単純計算で14万4000文字から26万文字。実際はその半分ぐらいですから、72000文字から14万文字。一冊の小説を書くためには、だいたい10万文字前後が必要と言われますから、それぐらいでしょうね。

もしもあなたが小説家志望で、自分にその適性があるかどうかを調べたいなら。

10万文字÷365日=273.9文字

Twitterならめいっぱい超えても2ツイート分です。3本の小説の企画を立てて、毎日6ツイート分を執筆して、一年で3本の小説を執筆できるならば、少なくとも作家に必要な継続力はあるでしょうね。3本というのは割と重要で、複数の企画を同時進行できる力って割と重要です。

■内容の判断はコチラへ■

売れっ子になった時に、そういう同時進行能力は必要ですし。そもそも作家なんて100本でも200本でも、アイデアが湧いてこないと駄目ですね。また、一本に専念するよりも複数の作品を同時並行的に書いたほうが、気分転換にもなるし、行き詰まりも解消されますからね。超長期連載用の巨大なドラマを一本しか持っていないのであれば、それが大ヒットになる可能性はゼロではありませんが。コケた場合のことも考えておく必要があるでしょう。

ちなみに自分は、会社を辞めた時点で、これは使えそうだというレベルのアイデアは、たった4本しかありませんでした。でも、デビュー以降に200本以上はアイデアを作りましたかね。藤子・F・不二雄先生も、デビュー前に書き溜めたアイデア帳は一冊で、これを使い切ったら引退すると思っていたそうですが。ドラえもんだけでも1345話以上を執筆されています。生涯に何千個のアイデアを出されたのやら。

実際、小学生の頃からあたためていた大長編を、連載してみたら10週で打ち切られてしまい、それから何年も作品が書けなくなった作家なんて何人もいますから。誰もがゆでたまご先生や尾田栄一郎先生になれるわけではないのです。自分だったら1万文字程度の短編12本を1年間で書けるか、そこで自分の適性を図りますけどね。その書いた内容がプロレベルかどうかは、ウチの講座を受けて提出すれば、冷静に評価しますけどね。

ということで、ちょっと長めの講座の宣伝noteでした。どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ

※本記事はMANZEMI講師のnote記事を承諾を得て転載したものです。
※出典:https://note.com/mogura2001/n/n8e97bbce1059


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