創作にドラマあり

創作にドラマあり

By MANZEMI

漫画ネーム

創作に関する、個人的な経験を。なにかの参考になる人もいるでしょう。

序章:創作の摩訶不思議

編集者時代、不思議に思っていたことがひとつ、あった。

なぜ漫画家は製作進行が遅れている言い訳に「物語の神様が降りてこない」などと、オカルティックな話を持ち出すのか……と。できていないならできていない、ただそれだけでいいのに。自分は仕事に関しては割とドライな対応をする人間だし、無用な言い訳を継ぎ足す理由が、意味不明だったのだ。

個人的にはホラー作品やサスペンス物は好きな方なのだが、それはエンターテイメントゆえ。むしろ、オカルト鵜呑みにする人間は嫌いだ。超常現象の多くは、科学的な理由が背後にある。それを解き明かすのは、推理小説のような面白さがあるのだが。基本的には懐疑主義的と言ってもいい部類だろう。

出版社を辞めフリーの編集者となり、漫画原作を手掛けるようになっても、この疑問は拭えなかった。創作という行為は、もうちょっとシステマティックだと思っていた。ところが、とある仕事を引き受けた時、そのオカルティックな出来事に自分自身が遭遇する羽目になるとは、思わなかった───。

■起章:最初はただの代打■

もともと予定していた原作者が急遽キャンセルとなり、締め切りギリギリの中でこなせるのは手が早いアイツだけだろう……ということになり、お鉢が回ってきたのだ。得意なジャンルとは言えない要件だったので、切羽詰まって困る担当編集者に対する義理だけで、引き受けたというのが本当のところ。

締め切りよりも少し早く上げることには成功したが、かなり苦戦した。読み切り作品という話だったので、締め切りに間に合わせることが最優先。アンケートも、悪すぎると次の仕事に差し障るかもしれないが、事情が事情だけに。真ん中ぐらいの順位──8〜12位ぐらい──でも充分に及第点と思った。

ところがアンケートの順位は4位の好成績。作画担当の漫画家さんの、流麗可憐な画力によるところが大きいのだろうと、その時は思った。人気の高さから担当に、もう一本頼むと言われ、比較的締め切りに余裕がある状態なので引き受けた。とはいえ内容的には、一本目よりもさら苦戦することになる。

■承章:苦手に悪戦苦闘す■

苦手なジャンルなので、とにかくキャラクターが動かない。薀蓄、つまり情報の量でごまかすしか手がない。資料になりそうな本を6冊ほど買い込み、泥縄的にネタ探し。余裕のあった締め切りもギリギリになってしまい、なんとか提出。やはり自分には向いてない、という思いを強くしただけだった。

ところが、である。苦戦したのに今回も再び人気投票3位。1位と2位の作品は何年も不動のワンツーフィニッシュだったので、そういう意味では3位は読み切り作品にあるまじき順位。そもそもアンケート結果も待たず、原作原稿が上がった時点で編集長は、連載開始を早々に決めてしまったのである。

ありがたい話だが、正直困ったのも事実。読み切りならばまだしも、時間的余裕もありネタをあれこれ広く探し回って、なんとか情報量で誤魔化しも効くだろうけど。連載となるとインプットの時間が圧倒的に不足してしまう。アウトプットばかりをしていては、ネタが枯渇するのもあっという間だし

■転章:自分に起きたこと

しかも編集部の要求は厳しく、毎回完全読み切りの一話完結形式でキャラクターも使い回しせず、作って欲しいと無茶ぶり。手塚治虫先生の『ブラックジャック』でさえ、個性的な主人公がいてこそ毎回読み切り形式で、作品を作れる部分もあるのに。連載自体はおいしい話なので、断るわけにもいかず。

とにかく連載開始前に、何本か作品をかきためする必要があるので、いくつかメモしておいたアイデアを、とにかく書いてみるしかないと思い立った。すると、なぜか物語の神様が降りてきた。それまで一本書き上げるのに2週間から3週間を要していたのに、なんと4日で3本出来上がってしまった。

いつもなら書きやすいパートを行きつ戻りつしながら、少しずつ全体像が固まっていく感じなのに、最初の一行から最後の一行まで、まるで自動書記であるかのように、スラスラと一気に書き上げられてしまった。まさに物語の神様が降りてきたとしか言いようがない、不思議な……不思議な状態だった。

■結章:目は前に心は後に■

ただコレはオカルティックな現象ではなく。自分の中で蓄積された経験値と方法論が、原作者デビュー3年目にしてピタッとはまった結果。藤川球児投手が、最初の数年間は鳴かず飛ばずだったのに、それまでやってきたことがある年に突如噛み合い、突如として凄いボールを投げるようになったように。

たぶんにこれは、作品を俯瞰する目線と細部を見る目線と、両方がうまく噛み合うようになった結果だろう。世阿弥の『風姿花伝』にも目前心後という言葉がある。実際に能を演じている自分とは別の、客観的に見ている自分が背後にいるという感覚のこと。作品作りにも、この感覚が必要なのだろう。

ポール・マッカートニーが『イエスタディ』を作り上げた時も、最初から最後までスラスラとメロディーと歌詞が出てきたらしい。あまりに簡単過ぎて、他人の曲を盗作したのではないかと、ジョン・レノンに確認したとか。名曲でも、ツルリンポンと生まれることはよくあるらしい。自分もそんな感じ。

■終章:摩訶不思議な創作■

物語の神様が降りてくる感覚はその後、年に一回あるかないかぐらいの頻度に落ちた。しかし面白いのは、物語の神様が降りてくる感覚を一度味わうと、通常の作品作りもかなりスピードアップするの点だ。一度自転車に乗るコツを覚えてしまえば、しばらく乗らなくても忘れないようなものなのだろう。

さらに面白いのは、その記念すべき物語の神様が降りてきた3本の作品を今読み返すと、意外と粗に気付いたりする。作品自体は勢いがあって良い出来だと思うのだが、技巧的な部分はまだまだ改善の余地あり。作家家業を十数年継続したことによって、トータルの技術力などは上がっているからだろう。

こういう不思議な創作経験をした人も、逆に全くしたことがないという人も、いるだろう。かく言う自分だって、実際に経験してみないと、理解できなかったのだから。作品作りはロジックの積み重ねではあるが、それだけではなかなかある一線を突破できない。だからこそ難しいし、面白いとも思う。

創作にドラマあり。

※本記事はMANZEMI講師のnote記事を承諾を得て転載したものです。
※出典:https://note.com/mogura2001/n/n8ec230d1c4f5


<現在募集中の講座>
MANZEMI 漫画ネーム講座
ネームに特化した作話講座! 無料の説明会開催中!
詳細:https://manzemi.net/name