作家を目指す人へ:山本小鉄さんの教え
山本小鉄さん。新日本プロレスの鬼軍曹と呼ばれ、若手レスラーの育成に定評がありました。レスラーとしては小柄でしたが、稀薄を前面に出すプロレスで、アメリカでもヤマハブラザーズとして大人気。新日本プロレスの道場論とは、山本小鉄イズムであると、前田日明氏も断言されていましたが。そんな山本小鉄さんの名言を、コンタロウ先生が紹介されておられましたので、紹介をば。
小鉄さんは若いレスラーを鍛え上げた鬼軍曹でしたが、忘れられない言葉も残しています。トレーニングというものの本質をついた名言だと思うので紹介します。ジョギングを毎朝続けたいならまずジョギングウェアを枕元に一週間置いて寝なさい。次の一週間は目が覚めたらそれを着なさい。ただし着るだけ。
— コンタロウ/comic-gakuen (@Kon_ComicGakuen) January 13, 2021
他人と同じようなトレーニングを他人の何倍も繰り返してやる。なんだか受験勉強にも通じる話です。小鉄さんは若い頃、プロレスラーになりたくて日本プロレスの門を叩きますが、体が小さいことから断られます。しかしその後、ボディビルで筋肉をつけ、一年後に入門を果たしたという逸話が残っています。
— コンタロウ/comic-gakuen (@Kon_ComicGakuen) January 17, 2021
新日本プロレスの道場論とは、毎日ヒンズースクワット3000回に代表される激しい練習と、道場破りが来てもキッチリ対応する強さ。それがあってこその、エンターテイメント性や説得力。前田日明氏も、入門当初はヒンズースクワットで立てないぐらいまでやらされ、コーラのような血尿が出たと。でもそれが、プロレスラーとしての自信にもなるわけで。その鬼軍曹の教え
■継続は力なり■
人間、勢いで何かやることはできます。カッとなって人を殺した人間なんて、幾らでもいますよね? でも、地味にコツコツ積み上げるのは難しいですよね。走ろうと思い立って、高価なランニングシューズやウェアを買って、三日坊主になる人は山のようにいます。また、そういう高価な物を購入して、奮い立たせるべきと言う人もいます。でも、小鉄さんの教えは真逆です。
けっきょくコレって、静かな闘志を燃やせられるか否か。爆発的な物ではなく、安定して燃え続ける、持続する炎。イチロー選手が松坂大輔投手を「深いところで野球を舐めている」と、軽口めいた感じで批判したことがありましたが。イチロー選手、大きなケガによる離脱もなく、安定した成績を残し続けられ、選手寿命も長かった理由は、当たり前を当たり前として継続する力。これが一番難しい。
けっきょく、松坂大輔投手は通算170勝。松坂世代で200勝投手はゼロの可能性があります。でも、和田毅投手は143勝。大卒で、入団した時点で、高卒後にプロ入りして3年連続最多勝の松坂投手とは、51勝の差があったのに。トミージョン手術で丸2年、日本球界復帰しても1年間はケガで離脱していますから。それでも松坂投手、追い抜かれる可能性がある。和田投手の節制と努力によって。
手塚先生も、アイデアはバーゲンに出せるほどあるが絵柄が時代について行けなくなるが怖い……といった旨の発言を、晩年にされてましたね。でも実際は、記号化された手塚作品は、50年以上前の『どろろ』を小学生や大学生に読ませても、普通に読めるんです。逆に、80年代の漫画の方が、高校出たての大学生や専門学校生には、古く感じたりする。その意味で、流行を追うのは諸刃の剣。メリットもデメリットもあると。
興味深いのは、中島史雄先生やダーティ・松本先生などベテランのエロ系漫画家の方が、70年代の劇画調から80〜90年代の美少女風と、劇的に変えていってる事実。何やら、安定した世界のようなイメージがありますが。ダーティ先生とか、読者に細かいアンケートを取って、目や鼻のパーツの細部まで作例を示して。それが70歳でも現役の、理由だろうなと。実は24年組のダーティ・松本先生。
■好きの種類は多様■
立川談春師匠の、テレビドラマにもなった自伝的エッセイ集『赤めだか』に、サラリーマンを辞めて立川談志師匠に弟子入りした、兄弟弟子・立川談秋について書かれています。厳しい修行生活や、落語協会を辞めピリピリしていた談志師匠の状況もあって、けっきょく心を病んで廃業されたとか。ここで重要なのは、落語を聞くのが好きなのと、落語を演じるのが好きは、似て非なるモノなんですよね。
小説を読むのが好き、漫画を読むのが好き、エッセイやコラムを読むのが好き。これが昂じて小説家や漫画家やライターを目指す人がいます。確かに、ほとんどの小説家や漫画家やライターは、読むのが好きな人たちでもあります。しかし、書くのが好きかは、また別の才能というか、別の言い方をすれば嗜好です。落語家も、舞台で演じるのが得意でないと、なかなか務まらない商売ですから。
ちなみに談志師匠の師である五代目柳家小さん師匠は、子供の頃からおしゃべりで、話すのが大好きだったそうで。あんまりペラペラしゃべるので、それならばと担任の先生が、わざわざ小林盛夫少年のために、クラスで話すための時間を設けてくれたとか。ある意味で、人間国宝になるべくしてなった訳で。
■好き嫌いを越えるモノ■
ちなみに、好きと得意は違う、と自分は思います。古今亭志ん朝師匠は、落語は好きだし、稽古も苦にならないと語っておられました。立川左談次師匠が古今亭の弟子たちと麻雀をやってると、仕事を終えて帰ってきた志ん朝師匠が、そのまま稽古を始められて、やっぱり名人になる人は違うと、恥ずかしくなったとか。あの美声に歌うようなリズム、芸のレベルは本来なら三番目の人間国宝候補として、同業者も異論なし。
ところが志ん朝師匠、人前で演じるのがイヤだったそうで。無観客で演じたいぐらい、と。冗談もあるのでしょうが、本当は歌舞伎役者か外交官になりたかった志ん朝師匠、本音も半分に見えます。大抜擢で真打ちになり、その負い目と七光りという陰口を跳ね返すため、必死に精進した方だったので。四代目の桂三木助師の自殺に、オレの方がよほどキツかったのに、安易に死を選んでと、立腹されていたとか。
けっきょく、人前で演じるのが好きな小さん師匠と、演じるのが嫌いだった志ん朝師匠を見るに、好き嫌いよりは芸の力が重要だと気付くわけで。芸の力、繰り返し稽古することで積み重ねられる、力と言いますか。父親である古今亭志ん生のような芸はムリだと、父のライバルで親友でもあった八代目桂文楽師匠の、稽古で磨き上げる芸を目指したわけで。才能と努力が、好き嫌いさえ越える。
■良き読者である価値■
作家に挫折して、結果として若き才能への嫉妬か、攻撃的な言辞を繰り返す、元小説家や元漫画家をSNS上でときどき見かけます。その挫折感は理解できないでもないですが、なにも商業プロが人生のすべてでもないでしょう。実際、商業プロは常に大きな不安や寄る辺なさを抱えて、精神的にキツかったりします。ヒットしなければ苦しく、ヒットしても次も出るかと苦しみ。すぐ終わったの才能が涸れたの遠慮の無い批判を浴びせられ。
個人的には、若者を攻撃している元作家には、ある種の承認欲求で作家を目指して、結果的にデビューには到ったけれど、その先に行く持続力が無かったように思えます。東大に入ることが自己目的化し、燃え尽きる人と同じ。京都アニメーション放火殺人事件を起こした、犯人と同じですね。自分には隠された才能があると思いたい症候群。ある種の地頭の良さはあって、実際にデビューはできたけれど。
知り合いにも、現役で東大に入学したけれど、入ってみたら多くは秀才だけど一握りの怪物級がいて、打ちのめされたとか。これは、心理学者の河合隼雄先生も、京都大学の数学科でそうだったようですが。なまじ、地頭が良いと自分にはモーツァルトのような天才はないと気付くサリエリになってしまうわけで。でも、モーツァルトを死に追いやるサリエリではなく、よき読者であることの方が、意味がありませんか?
最後に釘を刺しておきますが、これらは凡才ががんばるための手法。イチロー選手や松坂投手は天才じゃん、という人もいるでしょうけれど。天才は天才で、その高いレベルでの継続力が求められる、ということです。そこをクリアできないと、高いレベルの世界では、これまた結果が出せない。下層から見たら羨ましいトッププロの世界もまた、修羅の道ということで。妬んだり嫉んだりするのは、視界が狭すぎませんか、と。
どっとはらい
※本記事はMANZEMI講師のnote記事を承諾を得て転載したものです。
※出典:https://note.com/mogura2001/n/n74c6c49bd902