短編・中編を軽視する問題点
発端は、浅井ラボ先生のこの↓連続ツイートでした。小説の世界でも、アイデアと切れ味勝負の短編を書く場が減り、小説家の修業の場が減ってしまってるようです。出版社や編集部、あるいは担当編集者による短編の軽視の問題。これは、漫画の場も同じで、長期連載作品の方が収益性が高い、つまり売れるんですね。原稿料は同じでも利幅が薄い短編は軽視されちゃう。出版不況も重なり、小説も漫画も同じ轍を踏んでいるようです。
短編を書かせてもらう場がないというのは、創作者的に非常に良くないとは前々から指摘されている。アイディアと切れ味勝負の短編は、話の締め方の修行までできるわけで。ひとつには、キャラクター重視の作話でぶん回す方式が定着しすぎてしまったという理由はあろうが。
— 浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る22(12月20日発売) (@AsaiLabot2) April 11, 2021
「あの○○って短編は切れ味良かったね」という話を聞かなくなり、しなくなるストーリー業界ってなんやねんとなる。
— 浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る22(12月20日発売) (@AsaiLabot2) April 11, 2021
6000文字以上ある、ちょっと長めの論考ですが、たぶんプロの作家やセミプロ、作家志望者にしか需要はないでしょうね。でも、書いておきます。
目次
■キャラクター主義の弊害■
キャラクター主義というのは小池一夫先生が劇画村塾で提唱した作話手法で、自分も大きな影響を受けました。劇画村塾からは多数の漫画家や原作者のみならず、菊池秀行先生や火浦功先生のような小説家、堀井雄二さんのようなゲーム作家をも輩出します。現在のライトノベルには、このキャラクター主義の間接的影響が感じられます。浅井先生のツイートに対する芦辺拓先生のツイートがこちら。
今、ジャーロに書いている奇想ミステリシリーズは、みんなが自分の命を狙ってる中で助けを求めるため無関係な人を捜すとか、アパートに刑事が張りこんでいるのに気づき、自分も脛に傷持つ身なので誰を逮捕する気なのか見抜く必要に迫られるとか、そんな変な犯人当てばかりだが、これも短編ならでは。
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) April 12, 2021
ほんというと、僕が一番好きなのは中編で、「陰獣」に「地底獣国」に「赤い密室」、みんな100枚超の200枚弱。これだと書きたいところだけ書きこんで、よけいな膨らませがいらないので、ほんとに重厚にして純粋な読み味になる。でも中編は賞の対象からも外されることが多いし、発表媒体も限られる。
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) April 12, 2021
芦辺先生は短編に加え、中編を書く場が減ることを、危惧されています。キャラクター主義の長編は、一度そのキャラクターに魅了されれば、その人物を軸に世界観やら人間関係を把握するのが楽です。1冊完結が基本の長編小説なら、シリーズ化で安定した人気が得られますし、複数の巻にまたがる長編作品でも、読みやすいです。これが、売上に直結する理由。
■短編軽視と目先の商売■
小説の世界は解りませんが、漫画だと長期連載作品と短編傑作集では、3分の1から10分の1の差があります。これは自分が編集者時代の景気が良かった頃の話なので、今はもっと変わっているでしょう。現在はよほどのビッグネームか、長期連載作品がヒットした作家の、出版点数確保の企画でないと難しいでしょうね。短編集が定期的に出るのは星野之宣先生や諸星大二郎先生クラスの、判型が大きく値段が高めの本でも売れる、濃いファンがいるタイプ。
近年はシリーズもの短編さえも辛い感じのようですね。果たして電子はどれくらいの救済になるのか…が、興味があるところですhttps://t.co/h2DxLUcFuw
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) April 12, 2021
ベテランの作家やファンには、電子書籍を印刷書籍よりも一段低いモノと看做す部分があります。しかし本業が編集者で本作りの内実に多少は詳しい自分からすると、紙の本の流通は、コストもリスクも高いので。自分は電子書籍によるリリースには期待しています。そこで売れたら、紙の本の可能性もあるわけで。結果を残し実績を積むことは、けして悪いことではないと、自分は思います。
■生き残り戦略と電子書籍■
出版社勤務時代、担当していた作家さんは、若い頃に出した本が売れず、それから長らく単行本が出せませんでした。1冊の単行本でその後何年も本が出せなくなることを思えば、単行本発売は慎重にならざるを得ません。在庫切れで重版予定もない印刷書籍に対して、電子書籍はいつでも・どこでも・いつまでも、購入できるメリットがありますからね。印刷書籍が絶版になってた作家が、SNSでバズっても売れる本がない状態がありました。
小説なら、なろうやカクヨムがあるじゃないかと言う人もいますが、自分は無料で読める本と金を出して買う本には、差があると思っています。なので、これからは小説家も漫画家も、自分でAmazonやDMM.COMのアカウントを取り、商業ベースに乗りづらい作品を、電子書籍として発売するのが、生き残り戦略として必要になるでしょうね。今は、LeMEで小説も漫画も、簡単に電子書籍化が可能です。
■新しい書籍化の動きが■
例えば、石原苑子先生の『祖母から聞いた不思議な話』は、電子書籍での個人出版ですが、もしも人気が出たら印刷書籍でも出版できるよう、準備はしてあります。1月21日の発売からもうすぐ3か月(※本稿執筆時点)ですが、Kindle Unlimitedでの思わぬ高評価もあり、もしある程度の利益が出ているようなら、少部数でも印刷書籍を出せるかもしれませんね。今なら、BOOTHなど販売方法もありますから。
この本の配信サービスを引き受けてくださった株式会社ナンバーナインさんですが、電子書籍の販売がメインですが、人気作品の印刷書籍の販売も、KADOKAWAと組んで始めています。上記本の発売後の話で、全然知らなかったのですが、コレは嬉しい偶然。ナンバーナインと提携することで、ヒットしたら印刷書籍の販売まで視野に入りますからね。中堅やベテランの漫画家は、この可能性を探るべきでしょうね。
- ナンバーナインがKADOKAWAと連携し、オリジナル漫画『異世界行ったら、すでに妹が魔王として君臨していた話。』の単行本を本日発売
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000049.000027584.html
■技術を体系的に学ぶ意味■
さて、話を短編軽視に戻して。自分は小学校三年生の時にエドガー・アラン・ポーの小説に出逢い、短編こそ諸説の凝縮された美があるというポーの作話理論に打ち抜かれた人間ですので。長編は短編が書けてこそ、という考えが強固にあります。コレは漫画でも同じで、24〜30ページの短編がちゃんと描ければ、長編が描けるという考えで新人を指導してきましたし、それは今も変わりません。
短編が書けないのに長編が書けるというのは、単に既存作品のテンプレートを踏襲してるだけって人が多いですからね。個人的には、得手不得手はあっても、短編が書ければ長編はその延長線上にあると思っています。もっと言えば、作品を作る訓練のステップとして、掌編や短編から始めて、中編や長編にステップアップしていくのが、技術を体系的に学ぶ上で重要かと。少なくとも、ウチの講座はそういう教授体系で構築されています。
- 「近代推理小説の開祖」と称されるエドガー・アラン・ポーが残した功績とは?
https://gigazine.net/news/20180919-read-edgar-allan-poe/
■連載と書き下ろしの差■
そういえば、新井素子先生がはじめての雑誌連載で、すでに書き下ろしの単行本を出していたので、先に単行本一本分の原稿を書き上げて、連載回数分に分割すれば良いと思ったところ、失敗したとか語っておられた記憶があります。単行本1冊分の中で起承転結や序破急を付けるのと、毎月の連載で山場を作って引きを作って、起承転結や序破急を付ける、なおかつ1冊にまとめる作業は、別物だったようで。
逆に言えば、新井素子先生の時代でさえ既に、新人が短編からステップアップする方法論は主流ではなく、いきなり単行本書き下ろしがジュブナイルでは常態化していたようで。ここら辺は漫画の世界も、新人のデビュー作がそのまま連載というのは、『キン肉マン』や『1・2の三四郎』や『キャプテン翼』など、70年代後半から80年代には常態化していましたしね。才能ある人は、それでもいいんですけどね。
■ムリして短編を書く意味■
昔の週刊少年ジャンプは、1973年〜1983年と1997年は愛読者賞で年に1回、強制的に45ページの新作読み切りを描くことで、次回作の試金石にしていました。実際に『ブラックエンジェルズ』とか『毘沙門高校』とかの原型に。同賞が廃止されて以降、作家は一発屋が増え、使い捨てになったような部分があります。愛読者賞以外にも、『ドラゴンボール』の原型になった『騎竜少年(ドラゴンボーイ)』や『トンプー大冒険』とか。
短編軽視への疑義にも繋がるのですけれど、本当に出版業界はここら辺、目前の利益だけでなく長い目での作家育成を考えるべきと思います。貧すれば鈍すですが。これは、作家自身もです。上で書いたように、電子書籍による自分の作品発表の可能性とか、追究すべきですし。講座の受講生には、サービスでここら辺の電子書籍制作のノウハウも教えています。雑誌に頼れない時代、小説も漫画も、それは同じです。
■長期の連載を畳むとき■
短編や中編の話を書いたついでに、長編や人気シリーズについて。芦辺先生が、興味深いツイートをされていましたので、まとめの意味で、この記事に加えておきますね。コナン・ドイルはシャーロック・ホームズ物を書くのに飽き、アガサ・クリスティはポワロ物を書くのに飽き。本宮ひろ志先生は『男一匹ガキ大将』を終わろうとしても終わらしてもらえず。まぁ、よくある話ですが。
>RT これはみなさん心得ごとだっせ。僕もある種の作品に行き詰まって、「もう飽きた」と弱音を吐いたら、「芦辺さんが飽きても読者は飽きてないのだから書くべし」と言われた。
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) April 12, 2021
長期連載作品はおおむね、以下のような三段階を踏みます。
①作者が飽き
②担当が飽き
③読者が飽き
の三段階があるので、②で有効な再生法法や新路線が提案できないなら、畳むか休眠にするか、少なくとも新作を並列で始動した方がいいでしょうね。③に至ったら、新作さえ読む前から飽きられちゃう。特に、作品ではなく作家にファンがつくタイプは。そのタイプのファンは、去ったら二度と帰ってこないので。
■小説講座の可能性とは?■
鳥嶋和彦白泉社会長は、『ドーベルマン刑事』の担当を途中で引き継ぎ、人気が落ち着いてやや中弛みになってた同作に、榊原郁恵さんをモデルにした新米婦警を入れ、活性化に成功しましたけれど。たいがいの活性化案は、迷走に繋がるので。迷走し始めたら、編集長が断を下すのが常道。目前の利益しか考えない編集者に振り回されないよう、作家も自分の戦略を持つのが大事ということで。
芦辺先生を講師に迎えての小説講座も、実は掌編から初めて小説を書くノウハウをより体系化しようという試みから、スタートしています。ショートショートとはまた違う、雑多なジャンルでの掌編小説。そこから、小説と漫画を横断する才能が出てきたら、面白いなと思うので。これには自分自身の、漫画原作と小説執筆のノウハウの言語化という側面もありますが。現時点で手応えは充分にあります。
- MANZEMI 小説講座
https://manzemi.net/novel
長い長い宣伝終了、どっとはらい( ´ ▽ ` )ノ
※本記事はMANZEMI講師のnote記事を承諾を得て転載したものです。
※出典: https://note.com/mogura2001/n/n8c17d2cdb83e?magazine_key=m7ae47c1478c3