戦力と戦術と戦略の大事な話

戦力と戦術と戦略の大事な話

■戦力と戦術と戦略の大事な話■

「素人は戦術を語り、玄人は戦略を語り、プロは兵站を語る」という言葉がTwitterを見てたら流れてきました。言わんとするところは理解できるのですが、そもそも、戦術と戦略の違いをきちんと語れる人はどれほどいるのでしょうか? なぜこんなことをいきなり書いたかと言うと、MANZEMIの漫画ネーム講座では講義の一番最初、第1回目の冒頭で受講生に「戦略と戦術と戦略の違いとは何か?」という問いかけをするからです。

それぞれ似た言葉ですが、明確な定義となると、難しいですね。辞書的には、こんな感じで説明されています。いずれも、大辞林から転載。

せんりょく【戦力】
①(兵力のほか、兵器など軍需品の生産力・補給力を含めた)戦争を遂行しうる力。
②事を行いうる能力。また、それをもった人。「━となりうる人物」

せんじゅつ【戦術】
①個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法。普通、長期・広範の展望をもつ戦略の下位に属する。
②一定の目的を達成するためにとられる手段・方法。「牛歩━」

せんりゃく【戦略】
長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。

辞書的な説明は、具体的なイメージがつかみにくいですね。これを漫画に例えるならば、例えば戦力とはその漫画家の画力であったり、作話能力であったり、あるいは交渉力であったり。本人が持っているここの能力と言って良いでしょう。将棋やチェスで言えば、手持ちの駒の種類や数のこと。どんなに強くても、王将と歩兵しかないと勝つのは難しいです。飛車が画力、角行が作話能力、桂馬が交渉力などと考えると、わかりやすいでしょう。

 

■漫画家は小説家の眷属です■

そりゃあ、バランス良く駒が揃ってるのが理想ですが、逆に言えば、戦力だけあっても勝てないのが、チェスや将棋の面白いところ。絵はすごく上手くても話が作れないとか、話が作れて絵もうまいけれど、演出がダメダメでつまらないとか、よくある話です。逆に、画力のなさを自虐ギャグにされる西原理恵子先生や福本伸行先生は、画力という飛車角はないけれど、歩兵だけでも1000枚はある状態。飛車角が3枚づつあってもいいんですが、歩兵がないと勝てませんから。

漫画の場合、実は戦術が大事です。自分の強みは何かがわかれば、絵が下手でも大ヒット作家になれるし、その逆もある。どうも投稿者とか、漫画がよくわかっていない人ほど、絵さえ描ければ漫画家になれると、勘違いしてる率が高いですね。小説家が文字を使って物語を紡ぐように、漫画家は絵と文字で物語を紡ぐ商売です。「いや、原作付きの漫画を書く漫画家も多いじゃないか?」と言う人もいますが、それは違います。

例えば、小説家でもノベライズという仕事がありますね。ヒットした映画やテレビドラマ、アニメ、漫画などを小説にする仕事です。字さえ描ければ、ノベライズが可能ですか? 無理ですよね。そう考えれば、小説家がただ走る青年の描写で読者を感動させられるように、漫画家はただ絵を書いてるのではなく、感動できるような絵を描いているし、その絵は絵画のように1コマで終わってしまうものでもないのです。これ、ものすごォ~く大事なことを書いています。

 

■2500年も読まれる名著の理由■

面白いのは、功成り名遂げたベテランの漫画家さんは、戦略を語りたがるんですよね。これは当然で、戦力を揃えても戦術がなければ、活かしきれません。でも、戦略がなければ、戦術も活きてきません。いわゆる、試合に勝って勝負に負ける状態ってあるわけです。例えば、戦略論の最高の兵法書と言われる『孫子』の形篇に、「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」という言葉があります。

「勝利する軍隊は先に勝ってから戦争を始め、敗北する軍隊は先に戦ってから勝利を模索する」ぐらいの意味でしょうか。これだけ聞いたら、なんのことかわかりませんよね。当たり前のことを言ってるようにしか見えませんし、結果論にさえ見えます。でも、日本は昭和16年の夏に、全国各地から集められた若手エリート集団が、日本とアメリカが戦争を始めたらどうなるか、シミュレーションを命じられます。名付けて、総力戦研究所。

彼らが出した結論は、緒戦は奇襲で優位に立てても国力の差でやがてジリ貧になり、最後はソビエト連邦も参戦してきて、日本必敗というものでした。にも関わらず、日本は日米開戦に踏み切り、予測通りの敗北。それどころか、戦局が苦しくなると、ソビエト連邦に和平の仲介を頼もうとした間抜けさです。その時点で、ヤルタ会談でソ連対日参戦の密約ができていたのに。この歴史が解った上で、先の孫子の言葉をもう一度、読み直してみてください。

 

■百戰百勝は善の善にあらず■

孫子は、中国の春秋時代の軍師である孫武の尊称です。~子というのは先生ぐらいの意味で、孔子とか孟子も孔先生孟先生の意味で、本名は孔丘に孟軻です。もし孫子の兵法が、弓部隊をどう運用するかとか騎兵をどう使うかの戦術を説く書物ならば、鉄砲や大砲など火器が発達した時代には、あまり役には立たなくなって、忘れ去られていたでしょう。でも、戦いというのをもっと高いレベルで見ていたので、2500年以上経ってもなお、名著として読まれるわけです。

【原文】孫子曰、凡用兵之法、全國爲上、破國次之、全軍爲上、破軍次之、全旅爲上、破旅次之、全卒爲上、破卒次之、全伍爲上、破伍次之、是故百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也

【読み下し文】孫子曰く、凡そ用兵の法は、國を全うするをもって上と爲す、國を破るは之に次ぐ、軍を全うするを上と爲し、軍を破るは之に次ぐ、旅を全うするを上と爲し、旅を破るは之に次ぐ、卒を全するを上と爲し、卒を破るは之に次ぐ、伍を全うするを上と爲し、伍を破るは之に次ぐ、是故に百戰して百勝するは、善の善なる者にあらざるなり、戰はずして人の兵を屈するが、善の善なる者なり

【意訳】孫先生がおっしゃるには「そもそも用兵の原則とは、自国が傷つかないことが最も大事であり、敵国を戦争で倒すのは次善の策である。全軍を消耗させないのが最善策であって、敵の全軍を撃破するのは次善の策である。自国の部分的な兵力を保つのが最優先であって、敵の部分的な兵力を倒すのは次善の策である。自国の部隊を消耗しないことが最優先であって、敵の部隊を倒すことは次善の策である。自国の兵士を消耗しないことが最優先であり、敵国の兵隊を倒すのは次善の策である。だからこそ、百回戦って百回勝つのが最善の策ではなく、戦わずして敵に勝つのが最善の策なのである。

この、〝戦わずして勝つ〟こそが戦略。これがなければ、戦術も戦力も、無駄に消耗してしまいます。だから、生き残ったベテラン作家は、自分のこの大事な戦略を、教えてくれようとします。ところが、教えられる側に理解する基礎的な知識や経験がないと、ナニヲイッテルノカワカラナイ、ということになってしまいます。せっかく作家さんが質問に答えてくれるのに、「服の皺の描き方を教えてください」と質問しちゃう。

 

■プロは兵站を語るは真実か?■

それが悪いとは言いません。でも、それって小説家に「あの、〝ゆううつ〟って字の書き方を教えてください」と言ってるようなものです。いやまぁ、これがバラという字の書き方だったら、クッキーフェイスの美人女優と結婚できるかもしれませんけどね。それにしたって、それは小説家になる目的とは言えないでしょう。書道や硬筆の先生に聞いたほうが、良いアドバイスが貰えるでしょう。自分の戦力は何が有って何が無いか、それはまず自身で把握しましょう。

「自分は絵が下手ですが、コレコレこんな話を描きたいです。どういう抜け道がありますか?」なら、手持ちの戦力をどう使うか、戦術の話ですから。作家によっては、ネーム原作にしろとか○○編集部の○○なら好きそうだから持ち込めとか、アドバイスができるでしょう。でもその場合、池上遼一先生や鳥山明先生に質問しても、あまり的確なアドバイスはもらえないでしょうね。上手い人はなぜ自分が上手いか、あんまり解っていないものですから

最初の言葉に戻って。〝プロは兵站を語る〟という言葉は、実は戦力・戦術・戦略の面から言えば、実は難しい言葉です。兵站とは、Wikipedia先生によれば『戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動を指す用語でもあり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる』という、広い概念ですから。食料や武器弾薬という戦力を揃え、それをどうやって前線に効率的に送るかという戦術も含む概念です。

 

■MANZEMIが教えるのは……■

現場の実務能力の優秀さを問われますし、どういう装備を整えどう配分するかという、戦略的な部分も問われます。日本の歴史を見れば、古くは白村江の戦いや朝鮮出兵、第二次世界大戦など、海外を舞台にした戦いでは、この兵站を軽視して、日本は苦戦したり大敗北を喫しています。そういう意味では兵站は大事です。でも、プロは兵站云々は、ここらへんを踏まえていないと戦術や戦略とは別のものという誤解を与えかねないですし、それらを含む概念としても、やや言葉足らずに思えます。

二次大戦の兵站軽視の作戦としては、インパール作戦などが有名ですが、この日本の伝統的な兵站軽視を表す言葉が「輜重輸卒(しちょういそつ)ガ兵隊ナラバ 蝶々トンボモ鳥ノウチ」というものがあります。輜重輸卒とは、輜重兵の下で運搬作業を行う兵隊のことで、軍隊ではあまり出世できなかったため、軽視されたとか。この言葉自体は必ずしも軍隊の実態を顕していないという批判もありますが。日本人の大衆に、兵站軽視の考えがあるのは事実でしょう。

個人的には、戦力と戦術を決めるのが戦力とも言えると思いますし、それは漫画家であっても、この三つを考えて自分自身を分析し、自分の強点と弱点を知り、強点を活かし弱点をカバーし、どう勝つか・負けないかを考える必要があるわけです。では、MANZEMIは戦略を教える講座かといえば、そうではありません。実は、戦術を教える講座です。「戦術は時代が変われば変化し、使えなくと、さっき言ってたじゃん」と思うかもしれませんが、そうではありません。

 

■戦力と戦術と戦略を貫くもの■

実は戦術を教えることで、ではどういう戦力が必要か、という逆算ができます。自分はここが強いから、そこで弱点をカバーしようとか、ここはもう諦めてこっちに全振りしようとか。そして、戦力と戦術を統べる戦略とは、どういうものかもちょこっと教えます。それは、ベテランの先生とかがなにかの弾みにポロッと口にしたことです。でも、その意味があんまり理解されていなかったりするので、その意味を解説することで、戦力・戦術・戦略を包括的に理解することができるわけです。

実は、必勝方法なんてないとも言えますし、人それぞれ無数にあるとも言えます。自分が試して成功した例、自分には合わなかったけれど○○先生はこういう戦力があったから成功したとか、この才能をこういう戦術で使ったので成功したとか、こういう戦略がなかったので失敗したとか、そういう話が大事であって。パースの取り方・描き方とか、実はただの戦力でしかありません。その奥に、戦術と戦略があり、もっと言えば哲学があります。

哲学なんて役に立たないものの代表のように考えている人もいますが。世界最高峰の理系大学であるマサチューセッツ工科大学が、美術や芸術や哲学などを重視し、経団連の社長たちが求めるような即戦力は育てないと、断言しているわけで。20代で即戦力は、30代40代の働き盛りには時代遅れになるんですから、当然ですよね。哲学と言っても難しい話ではなく、「こうすれば絶対に漫画家になれる、なんていうやつは詐欺師の確率97%」なんてのも、立派な哲学です。


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