第06回:ネームは文章力

第06回:ネームは文章力

By mogura

漫画ネーム

■実践する意志が大事■

さて、アニメの絵コンテ用紙を使用しても、三段割のネーム用紙を使用しても、それ以外の用紙を使ってもかまいませんので、まずは実践が大事。技術は試行錯誤の中で見つけることが、よくあります。

他人に教えてもらった技術や方法論よりも、自分で苦労して発見した技術や方法論のほうが、喜びも大きいです。切ったネームを、表現技法で整えるのが演出ですが、講座ではさほど特殊な事はやりません。

「手塚治虫先生が『新宝島』で導入した、映画の表現技法」を用います。

もっとも、手塚先生が漫画に導入した映画の表現技法を、具体的かつ体系的に解説してる漫画研究書は、寡聞にして知りません。MANZEMIの漫画ネーム講座では、一ヶ月ほどかけてこの、演出としての表現技法を学びます。

 

■失敗は成功のマザー■

では、ネームの技術を考える前に、別の視点で考えてみましょう。「こうやったら成功する(こうやって成功した)」という話を聞いて、そのまま真似ても失敗することはよくありますよね?

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という名言があります。

プロ野球の野村克也氏の言葉として有名になりましたが、元々は肥前国平戸藩の九代藩主・松浦清の言葉です。号の「静山」の方が有名ですが、正編百巻・続編百巻・第三編七十八巻の随筆集『甲子夜話』で有名な文人大名。

藩政改革にも辣腕をふるい、さらに心形刀流甲州派の達人という文武両道の人で、『剣談』という剣術書も残しており、前述の名言はこちらが出典です。本人にも原因不明の勝利があるが、負けには必ず理由があるという意味。

要するに、成功体験には法則性はないが、失敗体験には共通するパターンがある、ということ。読者に伝わらないネームというのも、上手いネームを手本にするより、下手なネームの原因を追求する方が、有益なことが多いのです。

 

■何処に行くのですか■

ならば、下手なネームとはいったい何か? 読みづらかったり、意味が判然としなかったり、頭に関係性が入ってこなかったりと、下手なネームの原因は多数あります。何かひとつだけ理由があるわけではありません。

講座で指導するときも、複数の原因でこんがらがったネームを、原因を洗い出して解きほぐしていくのは、骨が折れる作業です。ですが、多くの投稿者が陥りがちなネームのパターンというのはあります。

「ほんで、オチは?」と言われるネームがそれです。

関西人と話していて、この言葉を投げかけられ、傷ついた人も多いでしょう。でも、誤解しないで欲しいのは、関西人は別に話にオチがないことを怒っているのではないのです。話の着地点が見えないことにイライラしてるのです。

 

■問題はオチではない■

そも、関西人がイライラするシャベリとは、「ボクは〇〇して、そしたらパパが●●して、そしたら今度はママが▲▲して、そしたら……」と、単調なパターンで読点(=、)繰り返され、句点(=。)がない会話です。

日本語の場合、伝統的に読点で繋いだ長い文章が高度な技法を駆使していると見なされる傾向があり、『好色一代男』などの著書で知られる江戸時代の井原西鶴など、センテンスが非常に長い文章で知られています。

この章も、わざと読点で繋ぐ文章にしていますが。

先年亡くなられた野坂昭如さんも、長い文章で知られており、『エロ事師たち』で鮮烈な文壇デビューされた時は「今西鶴」なんて呼ばれましたが、平安時代の『源氏物語』も、冒頭から長い文章が続きます。

いずれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり……って、源氏物語第一帖:桐壺の冒頭ですが、やっぱり長いですよね?

 

■問題は長短ではない■

はい、適度に句点を入れる文章に戻して。ライバルの清少納言の『枕草子』は逆に、「春はあけぼの(の時間帯が良い)」と、むしろ省略も大胆にスパッと短文。これは鎌倉時代の鴨長明『方丈記』も同じ。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と、キレッキレ。

平家物語』も「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と簡潔で格調高く。松尾芭蕉の『奥の細道』は「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」ですし、夏目漱石『吾輩は猫である』は言わずもがな。

これらの人に共通するのは、和歌や俳句などの短い形式の詩文も得意としており、その地力のベースの上に、短文も長文も、自由自在に使いこなしてるのです。長文の方がどうしても目立ってしまいがちですけどね。

 

■美しさよりも正確さ■

そう、ネームも文章と同じで、まずは作者の言いたいことが伝わる、正確な文章を心がけるべきなのです。ところが、多くの作家志望者や漫画家志望者は、自分が好きな作家の文体や表現を、表層だけ真似ます。

そうではなくて、読みやすい・解りやすい文章や表現を心がけるべきで、上手いとか凄いとか言われるような文章を目指すと、上手くもなく凄くもなく、なおかつ装飾過剰な文章になってしまいがち。コレはネームも同じです。

 SV=主語+動詞
  I walk. 私は歩いた。
 SVO=主語+動詞+目的語
  I have a book. 私は持っている、本を。
 SVC=主語+動詞+補語
  I am fine. 私は元気な状態です。
 SVOO=主語+動詞+間接目的語+直接目的語
  I gave him a book. 私はあげた、彼に本を。
 SVOC=主語+動詞+目的語+補語
  I called the book a secret text. 私は呼んだ、その本を秘伝書と。

ああ、嫌なモノが出てきましたね。自分も英語が苦手だったので、この基本5文型が大嫌いでした。嫌いすぎて、二浪もしちゃったぐらいですから。でも、解りやすい文章というのは結局、この基本5文型と同じです。

ネームも「何がどうしてどうなった マル」を読者に伝えるものですから。句点を打たれたところまでが、映画におけるシーンみたいなものと考えてみましょう。勘の良い人なら、このヒントでも読みやすいネームのポイントに気づくでしょう。

縦スクロールの時代こそ、句読点が大事です。その次が接続詞。

漫画家って、Twitterとか見ていても、短文で意味が通る文章を書く人が多いですね。漫画は映画やアニメより、小説に近い存在です。映画やアニメは客観表現であり、小説や漫画は主観表現ですから。漫画家は文章が上手いか、シャベリが上手いか、両方上手いか、そういうタイプが多い印象です。